むかし、貰人に小学校がなかったので、貰人・仙鳳趾(センポウジ)・恵茶人(エサヒト)の3地区では、子どもたちを奔幌戸簡易教育所に通 わせようとしました。
しかし、通学距離が6〜12kmもあるうえに、道路は急な山坂で険しく、特に冬は雪がふるので子どもたちは通 うことができませんでした。
そこで、貰人に簡易教育所をたててほしいと浜中村にたのみました。
はじめは、
「奔幌戸に簡易教育所があるし、村財政が苦しいので、貰人にはたてられません。」
と、ことわられてしまいました。そのため、3地区の大人たちは

「校舎は全部、貰人、恵茶人、仙鳳趾の家から寄付をあつめて新築します。」
「明治38年から47年までの10年間、毎年100円ずつ村教育費として村に寄付をします。」

と二つの条件を打ち立てて、もう一度村にお願いしました。
すると村から許可がでました。こうして今の貰人小学校(当時は貰人簡易教育所)がはじまったのです。
いまから約100年前、明治38年4月20日のことでした。
開校時の児童数は、男子16名、女子9名、合計25名でした。

明治

大 正

昭 和

平 成

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